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札幌地方裁判所 昭和47年(ワ)1452号 判決 1974年5月13日

原告 熊倉英樹

<ほか二名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 横幕正次郎

被告 坂下国雄

右訴訟代理人弁護士 牧口準市

主文

被告は原告熊倉英樹に対し、金三六〇万八、七四二円、同熊倉英四郎に対し金五三万三、六四一円、同熊倉怜子に対し金三五万七、三三三円および右各金員に対する昭和四七年一一月二五日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の各請求を棄却する。訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

第一項は、原告熊倉英樹において金七〇万円、同熊倉英四郎において金一〇万円、同熊倉怜子において金七万円を供託したときは、それぞれ当該原告に関する分につきかりに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告熊倉英樹に対し、金五〇〇万円、同熊倉英四郎に対し金一〇九万三、七七五円、同熊倉怜子に対し金五七万二、〇〇〇円および右各金員に対する昭和四七年一一月二五日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの各請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告熊倉英樹(昭和四四年一二月三一日生れ。以下、単に英樹という。)は、原告熊倉英四郎(以下、英四郎という。)および同熊倉怜子(以下、怜子という。)間の長男である。

2  英樹は、昭和四七年四月一三日午前一一時三五分ころ、岩見沢市日の出南三丁目所在の被告宅敷地内に設置されている同人所有に係る農業用溜池(以下、本件溜池という。)に転落した(以下、これを本件事故という。)。英樹は、溺死寸前に救出され、岩見沢市立総合病院に入院し手当を受けたが、右転落事故による溺水の結果、中枢神経に著しい機能障害をおこし、意識は半昏睡状態となり、下肢が麻痺する等の傷害を負うに至った。その後、右機能障害等の症状固定の傾向が強いため、英樹は、同年九月二日右病院を退院したが、同病院において、右症状は将来にわたり回復することが不可能であると診断され、全治の見込みのないまま現在に至っている。

3  本件溜池は、被告が農業用水池として築造した土地の工作物であって、面積約五〇メートル四方、深さ一ないし二メートルの規模を有するものであるが、付近一帯は住宅地域であり幼児も多いことなどから、子供が転落するおそれのある極めて危険な工作物であったにもかかわらず、その周囲に張りめぐらされていた有刺鉄線には幼児が自由にくぐって右溜池内に入れる程度の間隙があり、また、幅員約二メートルの右溜池通用口には右のような鉄線その他の防護柵等の設備は何も施されていなかった。右のように、本件溜池には危険に対する十分な安全設備が設けられていなかったのであって、土地の工作物である本件溜池の設置または保存に瑕疵があったものというべきである。英樹は、右通用口から入って本件溜池に転落したものであって、右転落事故は右瑕疵に基因するものである。

4  本件事故により原告らが蒙った損害は次のとおりである。

(1) 労働能力低下による逸失利益 金八七七万九、〇〇九円

本件事故当時、英樹は満二才四ヶ月の健康な幼児であったが、右事故による前記傷害のため労働能力の低下を招来した結果、次のとおりの損害を蒙った。

(イ) 平均年収額 金一〇二万六、九〇〇円

労働省労働統計調査部昭和四五年賃金構造基本統計調査による産業計・企業規模計・学歴計のパートタイム労働者を含む男子労働者のきまって支給される月間現金給与額および平均年間賞与その他の特別給与額を基礎として算出したもの。

(ロ) 就労可能年数 四〇年(満二〇才から六〇才まで)

(ハ) 労働能力喪失率 六〇パーセント

英樹の受けた前記後遺症状からすると、その就労時における労働能力喪失率は少なくとも六〇パーセントとみるのが相当である。

(ニ) 中間利息控除 ホフマン式係数一四・二四八四

英樹が本件事故当時から満一八年後以降五八年後まで稼働するものとすると、係数は右のとおりとなる。

(ホ) 逸失利益の現価 金八七七万九、〇〇九円

計算式 1026900×0.06×14.2484

(2) 治療費 金五五万八、〇二五円

英四郎は、英樹のため治療費として金五五万八、〇二五円を支払い、右同額の損害を蒙った。

(3) 入院諸雑費 金三万五、七五〇円

英四郎は、英樹のために同人が入院した期間(一四三日)中一日平均二五〇円の割合による諸雑費を支出し、右同額の損害を蒙った。

(4) 付添費 金七万二、〇〇〇円

怜子は、英樹が入院していた期間中約二ヶ月間同人の付添看護に当ったが、付添費相当額は一日当り金一、二〇〇円とみるべきであり、右は怜子に生じた損害である。

(5) 慰謝料 金二〇〇万円

原告らが本件事故により受けた精神的苦痛ははかりしれないものがあり、その慰謝料額は英樹について金一〇〇万円、英四郎および怜子について各金五〇万円宛とみるのが相当である。

5  よって被告に対し、土地の工作物の所有者に対する損害賠償請求として、英樹は前記4(1)の逸失利益八七七万九、〇〇九円のうち金四〇〇万円と前記4(5)の慰謝料一〇〇万円の合計金五〇〇万円、英四郎は前記4(2)(3)の各支出金および(5)の慰謝料の合計金一〇九万三、七七五円、怜子は前記4(4)の付添費および(5)の慰謝料の合計金五七万二、〇〇〇円ならびに右各金員に対する本訴状送達の翌日である昭和四七年一一月二五日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、英樹がその主張する日時場所で被告所有の本件溜池に転落し、岩見沢市立総合病院に入院した事実は認めるが、その余の事実は知らない。

3  同3のうち、本件溜池の水深がほぼ原告ら主張のとおりであることおよびその四方が有刺鉄線で囲まれていた事実は認めるが、その余の事実は否認する。

本件溜池は、被告が農業用水に使用する目的で昭和二五年ころ築造したものであるところ、その当時、付近には農家が点在しているのみであって人家は少なかったが、昭和四四年ころ岩見沢市の公共事業として公営住宅が建築されるようになってから急速に宅地化が進行したため、被告は、昭和四六年四月ころ本件溜池の周囲に高さ一・二メートルの支柱を打ち、道路側(北側)には四段、その他の周囲には二段の有刺鉄線を張りめぐらした。また、右溜池の入口は被告宅敷地内にあり、右敷地内にある被告所有の車庫に視界をさえぎられて右敷地の北側にある表門から右溜池の入口を見通すことはできなかった。さらに、右敷地は高さ一・二メートルのブロック塀で囲まれており、同敷地の入口である右表門には三段の鉄鎖が施されていた。

したがって、本件溜池には社会通念上必要な防護設備が施されていたから、右溜池の設置または保存につき原告ら主張のような瑕疵はなかった。

4  同4は知らない。

三  抗弁

本件事故は、英四郎および怜子が親としての監視義務を怠り、わずか満二才四ヶ月にすぎなかった英樹を長時間にわたり屋外に放置しておいたために発生したものであって、右事故の発生については右原告らにも過失がある。

四  抗弁に対する原告らの認否

否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  英樹が英四郎および怜子との間に昭和四四年一二月三一日出生した長男であり、昭和四七年四月一三日午前一一時三五分ころ本件溜池に転落したことは、当事者間に争いがない。

二  ≪証拠省略≫によると、以下の事実を認めることができる。

英樹は、昭和四七年四月一三日午前一一時四〇分ころ、本件溜池の水面(右溜池の北側を東西に走る道路の南端から南方向に約八・九メートル、右溜池の西側通用口から北東方向に約五・四メートルの地点)上にうつぶせになって浮かんでいたところを通行人に発見救助され、直ちに岩見沢市立総合病院に入院し治療を受けた。右入院時は心拍動、自発呼吸ともになく仮死状態を呈していたが、約三〇分後に心拍が再開し一命をとりとめた。しかし、右溺水時の低酸素症により、中枢神経に高度の機能障害を起こし、その後の入院加療にもかかわらず右機能障害の症状固定の傾向が強かったため、英樹は、同年九月二日右病院を退院したが、右退院時においても中枢神経に高度の機能障害が残存し、刺激に対する不随意な反応が散見されるのみで随意的な反応は認められず、上下肢とも緊張性麻痺症状を呈し、意識も半昏睡状態であって、このような溺水後遺症(無酸素性脳症)は将来にわたって回復困難であり、少くとも正常児のように回復することは不可能であると診断された。そして、本件事故から約一年四ヶ月を経過した時点においても、半昏睡状態および歩行不能、言語不能、自発的経口摂取不能、糞便・尿の失禁状態等の溺水後遺症が持続しているため、英四郎および怜子において英樹の排便、排尿の管理、食物の摂取等日常の起臥に関する世話を欠かすことができず、しかも右溺水後遺症による右諸障害の回復は将来もはなはだ困難であること、

以不の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

三  次に、本件溜池が農業用水池として人工的に築造されたものであることは当事者間に争いがないから、本件溜池は民法第七一七条にいう土地の工作物に該当することが明らかである。

四1  そこで次に、本件溜池の設置または保存に瑕疵があったか否かの点について判断するに、≪証拠省略≫を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(1)  本件溜池は被告の所有地内にあって被告居宅の東側約二〇メートルに位置し、その面積は約四〇メートル四方であること、右溜池の周囲には草でおおわれた提防状の土手が築かれていて、右土手は、溜池の南および東側に隣接する被告所有の畑地よりも高く、その間には約一ないし二メートルの落差があるが、その北側に隣接する前記道路とはほとんど高低差がなく、その西側についても被告居宅の敷地とほぼ同じ高さであること、また、右土手の内側はかなりの急斜面ですり鉢状に掘り下げられているが、溜池の北側(道路側)および西側(被告居宅側)ではやや斜面が緩く、渇水期には、右斜面の下端から水際まで二メートル位の間隔があるが、満水期にはほとんど間隔がなくなること、被告の居宅敷地内には、門を入って玄関脇に至ると左側に車庫があり、これに沿って本件溜池の西側にある通用口(以下、本件通用口という。)に至るほぼ水平の小道路状の踏み跡が存在し、これをたどって右通用口に至り、約三段の階段状の急斜面を下ると通用口の前方約二メートルの距離に踏台があり、満水期には水面が右踏台とほぼ同じ高さにまで達すること、本件事故当時においても田植時期をひかえてほぼ満水近く貯水されていて、その水深は最も深いところで約二メートルを下らない程度に達していたこと、

(2)  被告は、現住所において昭和二〇年ころから農業を営んできたが、昭和二五年水田を一町歩増反するに際し農業用水池として本件溜池を築造したこと、右溜池は昭和四四年ころ岩見沢市の防火用水に指定されたこと、同年ころから同市の公共事業として、本件溜池の北側付近一帯に、公営住宅が建築されるようになってその近辺は、急速に宅地化され、本件事故当時においては、右公営住宅の最南端の建物から右溜池北端までの最短距離が幅員約一〇メートルの前記道路をはさんで一〇数メートルにすぎず、右公営住宅の一画にある原告宅から本件溜池の北端までの最短距離が約一五〇メートルであったこと、

(3)  被告は、右公営住宅が本件溜池に近接した位置に建てられるに至ったことから、被告が従来右溜池の周囲に張りめぐらしていた二段の有刺鉄線だけでは危険であるとの同市の農務部農政課の助言を受けて、昭和四六年四月右防護柵を補強することとし、本件溜池の前記道路側土手に四段、他の側の周囲に二段の有刺鉄線を張りめぐらし、これを支える柱も従来より堅固な丸太を打設したこと、本件事故当時において、右支柱の間隔は右道路側で約二メートル、他の側の周囲で約一・八メートルであり、その高さは道路側で約一・二九メートル、他の側で約一・五メートルであったこと、また、その当時、右道路側に張られた有刺鉄線の地表からの高さは、最下段が約一六センチメートル、二段目が約三七センチメートル、三段目が約六一センチメートル、最上段が約九五センチメートルであったこと(なお、この点に関し、原告熊倉怜子本人は、本件事故当時右支柱が全体の三分の二程倒れており、右有刺鉄線もはずれていた旨供述するが、右は≪証拠省略≫に照らし措信できない。)、

(4)  右有刺鉄線およびこれを支える右支柱によって囲まれた本件溜池の防護柵は、その西側(被告居宅側)にある幅員約一・一メートルの本件通用口の部分において一個所だけ途切れていて、本件事故当時そこには有刺鉄線その他の防護柵等の設備は何ら施されておらず、人が自由に出入りできる状態にあったこと、もっとも、右通用口は被告宅敷地内にあって、外部から右通用口を経て本件溜池にたどり着くには、右敷地と前記道路との境界に高さ約一・二メートルのブロック塀が築造されていたため、右道路に面している被告宅敷地の表門(幅員約四・八七メートル)から入って敷地内を通って行かなければならず、しかも右敷地内にある被告所有の物置に視界をさえぎられて右表門から本件溜池の右通用口を見通すことはできないが、右表門から右通用口までの距離はわずか約一七・三五メートルであってその間の通行を妨げるような工作物等は存在しなかったこと、また、右表門には他人の出入りをさえぎるために普段は門柱と門柱の間に三段の鉄鎖を渡していたが、その際における右鉄鎖の最下段の高さは、その最も低いところ(右表門の中央部分)で地上約一〇センチメートル、その最も高いところ(右表門の両脇の門柱付近)で地上約三四センチメートルであったこと、しかし、本件事故当時においては右鉄鎖は、一方の門柱にひき寄せられていて、門柱間に渡されていなかったこと

以上の事実を認めることができ、右認定を左右する証拠はない。

2  しかして、およそこのような溜池の設置または保存に瑕疵があったか否かは、当該溜池の構造上人が転落して生命、身体を害される危険性が高いものであるかどうか、転落するおそれのある人がこれに接近することが通常予想される場所に溜池があるかどうか、右のような危険と立地条件が存する場合、溜池に危険性の度合に応じた防止設備が備えられているかどうか等を総合的に検討したうえで決せられると解されるところ、本件についてこれをみるに、右認定のとおりの本件溜池の規模および形状ならびに本件事故当時の水深からすると、本件溜池は、危険を認識し、これを回避できる年令に達した者についてはともかくとして、かかる能力を欠く幼児がこれに接近した場合には転落する危険性がきわめて高く、また、一旦これに転落すれば死亡に至る高度の危険性を有するものであったところ、本件溜池の北側付近一帯が前記公営住宅の建ちならぶ住宅地域であったことおよび右公営住宅と本件溜池とが右認定のとおり近接していたことからすれば、本件溜池は、右住宅地域に居住する幼児らが比較的容易に接近しうる場所にあったものといえるのである。

そして、英樹が本件溜池のどの場所から接近してどの場所から転落したかを認めうる直接の証拠はないが、前認定の本件溜池および周辺の状況と原告宅から被告宅敷地の前記表門を経て本件溜池の通用口に至るまでの距離関係からすれば、英樹が右表門および右通用口を経て本件溜池に転落したものと推測するに難くない。そして、右通用口が被告宅敷地内にあることから、成人はもちろん、子供であっても或る程度の社会的常識を備えるに至っている者については、右表門から右敷地内に入ること自体がはばかられ、その結果これらの者が右通用口に達することは通常予想しえないが、このような域に達していない幼児の場合にはそのような自制が期待できず、表門から入って右通用口に接近することが十分予想されるところである。しかるに、前記認定のとおり、右通用口には有刺鉄線その他の何らの防護柵も施されておらず、しかも、本件事故当時右表門に取付けられていた前記鉄鎖がはずれていて幼児が自由に出入りできる状態にあったのであるから、幼児が本件溜池に近づかないようにするための防護設備としては万全なものではなかったものといわざるを得ない。また、右通用口から本件溜池の水際までの間隔は、約二メートルにすぎず、この間は約三段の階段状の急斜面となっていたこと前認定のとおりであるから、幼児が一旦右通用口に到達すれば、そのまま本件溜池に転落する可能性が十分にあったということができる。以上を総合すれば、本件溜池は、英樹のような幼児が接近して転落する危険性のきわめて高いものであったにもかかわらず、右通用口に幼児の自由な出入りを防止するための防護柵等の安全設備を設けていなかった点および右表門に取付けられていた鉄鎖が本件事故当時はずれていた点(もっとも、仮に右鉄鎖が平常どおりかけられていたとしても、右鉄鎖の最下段の地表からの高さおよび鉄鎖間の間隔が前記認定のとおりであったことおよび英樹が満二才四ヶ月の幼児であったことからすれば、同人が右鉄鎖の下あるいは鉄鎖と鉄鎖の間をくぐり抜けて被告宅敷地内に入ることもまた十分考えられるのであるから、いずれにせよ、右鉄鎖の設備が存在したことによって、本件溜池の設置、保存の瑕疵を否定することができないところである。)において、その設置または保存に瑕疵があったものといわざるをえない。

そして、以上の事実関係からみるときは、英樹が本件溜池に転落したのは右のような瑕疵に基因するものであることがあきらかであるから、本件溜池の所有者である被告は、これによって原告らが蒙った損害を賠償する義務がある。

五  損害

1  労働能力低下による逸失利益

≪証拠省略≫によれば、英樹は本件事故当時満二才四ヶ月の健康な男子であったことが認められるところ、前記認定のとおり、英樹は本件事故によって無酸素性脳症の傷害を受け、現在においても中枢神経に高度の溺水後遺症を残しているものである。したがって、右傷害の結果英樹が得べかりし利益を失ったことによる損害は、次のように認定するのが相当である。

(1)  平均年収額 金一二三万七、九〇〇円

本件事故の発生した昭和四七年における賃金センサス、パートタイム労働者を除く男子労働者の産業計・企業規模計・学歴計の平均月間所定内給与額および平均年間特別給与額を基礎として算定したもの。

(2)  就労可能年数 四〇年

満二才の男子の平均余命は昭和四〇年生命表によれば六七・三一年であるから、英樹は満二〇才から六〇才まで就労が可能であるとみられる。

(3)  労働能力喪失率 一〇〇パーセント

英樹の受けた傷害が前記認定のとおりであるとすれば、同人は、その労働能力を死亡に至るまで完全に喪失したものと認めるのが相当である。

(4)  中間利息控除 ライプニッツ複式係数七・一三〇〇

英樹が本件事故当時から満一八年後以降五八年後まで稼働するものとすると、係数は右のとおりとなる。

(5)  本件事故時における逸失利益の価額 金八八二万六、二二七円

計算式 1237900×7.1300

2  治療費

≪証拠省略≫によれば、英四郎は、英樹が昭和四七年四月一三日から同年九月二日まで岩見沢市立総合病院に入院した間、同人のために治療費として金五五万八、〇二五円を支払ったことが認められる。

右は、英四郎の蒙った損害というべきである。

3  入院諸雑費

≪証拠省略≫によれば、英四郎は英樹の右入院期間(一四三日)中、同人のために入院生活に必要な諸雑費を支出したことが認められるところ、当時入院一日平均金三〇〇円の諸雑費を要することは当裁判所に顕著な事実であるから、その総額は金四万二、九〇〇円と算定される。

右は、英四郎の蒙った損害というべきである。

4  付添費

≪証拠省略≫によれば、怜子は、英樹のため前記入院期間のうち少くとも二か月間付添って看護に当ったことが認められる。そしてこのような場合付添看護費用相当分は一日当り金一、二〇〇円とみるのが相当であるから、その総額は金七万二、〇〇〇円と算定される。

右は怜子の蒙った損害というべきである。

5  慰謝料

≪証拠省略≫によれば、本件事故により英樹が前記傷害を蒙り、後遺症を負う身となったことにより、英樹本人はもちろんのことその両親である英四郎および怜子が多大の精神的苦痛を受けたことが認められる。

そして、英樹が本件事故によって蒙った傷害は、前記認定のとおり将来もほとんど回復不可能なものであって、生涯正常人として復帰できないのであるから、これによる同人の精神的苦痛ははかりしれないものがあるといわなければならず、これに対する慰謝料額は金二〇〇万円とみるのが相当である。

また、長男である英樹が右のような重大な傷害を負い、しかも前記認定のとおり将来もひきつづき同人の排便・排尿の管理、食物の摂取等日常の起臥に関する世話を欠かすことができないのであって、その両親である英四郎および怜子が受けた精神的苦痛は、英樹が死亡した場合にも比肩しうるものといえるから、英四郎、怜子の両名もまたこれに対する慰謝料を請求することができると解すべきであり、その慰謝料額はそれぞれ金一〇〇万円とみるのが相当である。

六  過失相殺の抗弁に対する判断

英樹が本件事故当時満二才四ヶ月の幼児であったことは前示のとおりである。ところで、この年令の幼児においては、生命、身体に対する危険を察知してこれを自ら回避する能力はほとんどなく、反面その行動範囲は必ずしも自宅の近辺等の小範囲に限られないことは何人にも顕著な事実であるから、その監護者は、幼児が自動車が通行する道路その他の危険な場所に赴くおそれがある場合には、常にその行動を監視して幼児が危険に遭遇することを防止する義務を負うことはいうまでもない。そして、幼児に事故が発生した場合に、監護者に過失があったかどうかおよびその過失の程度を考察するに当っては、幼児が遭遇した危険の内容、程度との比較において、必要な監護義務が尽くされたかどうかを検討しなければならないと解される。

本件においてこれをみるに、≪証拠省略≫を総合すると、原告らは、昭和四五年一二月七日現住建物に入居したものであるが、怜子は、右入居以来本件事故発生にいたるまでこの付近に溜池があることはきいていたが、本件溜池の位置は知らなかったこと、怜子は、本件事故当日の午前一一時ころから同三〇分ころまでの間、英樹が自宅前の公営住宅敷地内遊園地で近所の子供四、五人と遊んでいたのを自宅の窓から確認していたが、一一時三〇分ころになったとき、当時生後一〇か月の長女が泣き始めたので英樹から目を離して同女の世話をし、約五分後に再び窓から右遊園地を眺めたところ、そのときすでに英樹の姿は見えなかったこと、そこで、怜子は、直ちに英樹を捜しに行こうと思ったが、長女の世話に気をとられてそのまま室内で過していたところ、やがて英樹を見失ってから約一〇分後に救急車のサイレンの音をきき、驚いて外に出ると本件事故現場付近に人が集まっていたので直ちに現場に向い、そこではじめて本件事故の発生を知ったこと、怜子が右現場に到着したのは午前一一時四七分ころであって、そのときにはすでに英樹は救急車で運ばれた後であったこと、以上の事実を認めることができる。

しかして、怜子が、現住建物に入居して以来本件事故が発生するまで一年以上を経過しているのに、前記のとおり危険な工作物である本件溜池が原告宅の近くにあることを知らなかったこと自体親としてうかつであったとのそしりを免れないが、この点をおくとしても、本件溜池のほかにも原告ら居住の公営住宅の周囲には自動車が通行する道路が存在するなど幼児の単独行動には極めて危険が多く、当時わずか満二才四か月にすぎなかった英樹にかかる危険な場所に近づかないように自制することを期待できない以上監護者である怜子としては、戸外にいる英樹につきひとときといえども目を離すことのないように努めなければ到底同人の安全を確保することができなかったと考えられる。しかるに、右認定のとおり、怜子は、英樹から目を離したときから約五分後にはすでに同人の姿を見失っていたのに直ちに同人を捜しにいくこともせず、前記サイレンの音をきくまでの少くとも約一五分もの長い間、同人に対する監視義務を尽くさないで同人を放置していたものであって(なおこの点に関し、怜子は、英樹から目を離してから右サイレンの音をきいて外に出るまでの時間は一〇分足らずであった旨供述するが、右供述は必ずしも確たる根拠に基づくものとはいえず、また、本件溜池と原告宅との距離は前記のとおり約一五〇メートルであって、満二才四か月にすぎなかった英樹が右溜池に到達するまでにはかなりの時間が経過したと考えられること、怜子が英樹から目を離していた間はもっぱら長女の世話に気をとられていたこと、右サイレンの音をきいてはじめて英樹の所在について気懸りとなったこと等を考えあわせると、右供述部分は直ちに措信し難い。)、右の点につき、怜子にはまさに親としての監護義務を怠った過失があったものといわなければならず、これが本件事故発生の一要因をなしたことを否定することができない。

そして他方、本件溜池は、前記認定のとおり、本件事故当時その北側(原告宅側)に四段、その他の周囲に二段の有刺鉄線とこれを支える丈夫な柱とによって防護されていたものであり(なおこの点に関し、右当時右防護柵の大半が倒壊していたとの原告怜子本人尋問の供述が措信できないことも前記のとおりである。)、右溜池の前記通用口は被告宅敷地内にあって、右敷地と北側道路との境界には高さ約一・二メートルのブロック塀が築かれ、前記表門の鉄鎖は、本件事故当時たまたまはずれていたとはいえ、通常は右表門にかけられていたものであること等、本件溜池の防護設備が前記認定のとおりかなりの程度にまで施されていたことと対比して考えれば、本件事故の発生は、本件溜池の前示瑕疵に起因するものであるとともに、怜子の前示過失もまたこれに原因を与えたものであって、これに対する被告と怜子の責任の割合は、被告一に対し怜子を二とするのが相当であると認められる。そして、被告が負担すべき損害賠償額は、怜子に対する分のみならず、他の原告らに対する分についても右責任の割合をもって定めるべきであるから、結局被告は原告らに対し、前記各損害額の各三分の一の金額を支払う義務がある。

七  結論

以上によれば、被告に対する原告らの本訴請求は、英樹について前記五1および5のうちの英樹の分の合計額の三分の一である金三六〇万八、七四二円、英四郎について前記五2、3および5のうちの英四郎の分の合計額の三分の一である金五三万三、六四一円、怜子について前記五4および5のうちの怜子の分の合計額の三分の一である金三五万七、三三三円ならびに右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和四七年一一月二五日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから右の限度でこれを認容し、その余はいずれも失当であるからそれぞれ棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橘勝治 裁判官 大和陽一郎 裁判官稲守孝夫は転任につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 橘勝治)

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